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駄文で詰める、戦略的でない一日

頭が回らないけど書いておく。筋肉を鍛える必要があるとき、速筋か遅筋か意識しておくといいかも。そうでないかも。

まったく筋肉が付いてないとき、筋肉をつけるといえば筋肉痛にすることだ、という当たり前のことに気づかなかったのは痛い。痛いから筋肉痛になるような運動は避けていた。それじゃあ、筋肉はつかない。

 

 

今日はどんな日だったか、振り返ろうにも、記録がない。記録していない、という欠点が、振り返りすら困難にしているので、進歩に繋がらない。基礎的なことだが、それをしない、というのはする人と比べることもできないので、損を測ることができない。

 

ハンドルする、という感覚が必要。必要というか、快適さに必要。どう動けば将来に渡って快適さを維持できるか、意識が必要。運動をしないと、基礎体力が下がっていくように、基礎生活力という概念を規定してやれば、手抜きがやばい、というのは分かる。

 

戦略的でないことが分かるのは、頭痛薬が二箱出てきたことでわかる。室内で消失する、なんてのは、置き場所が固定でないからだ。それをいかに実現していくかは、さきほどの基礎生活力の概念の内側にあるので、修正していく。

 

読めない、という壁に突き当たっている。精神的に読めないというか、感覚的に受け付けにくい文体で書かれているというか。これをぜび読みたい、という希望はあるのだが、どう解釈すればいいか、という疑問を差し挟みつつ読むには慣れてない書き方だったりする。これは、1ページでギブアップした大江健三郎さんの書物を意識せざるを得ない。そこまでじゃない。

 

読みにくい文章に出会うたび、大江健三郎さんの名前を出すのは、不本意だ。もっと読みにくい代表がいるはずだ。

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