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コミュニケーション不全とその代価

コミュニケーションは、必ずしなければならないかという議題。

これは、人によるとしかいえない。

 

例えば、はじめから相手を見下しているような人の場合。シチュエーションによっては人を見下しますよというスタンスを取るような人は、フラットなものの見方というのを身につけてない可能性が高い。

フラットではない、つまり偏見ですね。そういう見方をしている人が、好ましいかどうかという話になってくる。

まあ、相手が自身の欠点に気づいていない状態では、何気に強気に出てくるんですね。当然、自信が強者というスタンスで。

 

 

一方で、頭のいい人に対して、偏見を持っている人がいる。頭のいい人の定義で、「頭のいい人は、私に分かるように説明する義務がある」という、勘違いをしている人がいる。

もし、説明できない人は、頭のいい人ではないという定義だったりする。

なんで頭のいい人が、あなたに対して媚びなければいけないの? という説明はなかったりする。

頭のいい人は、当然、自身にとって優位になるように行動する。その過程で「この人には説明するだけムダだ」という判断も当然行われる。むしろそのパターンのほうが多い。

頭のいい人と、コミュニケーションを取るだけでも、相手に価値を提供しなければいけない。そうでないと、相手には無価値になって話をする価値がないとすれば、反応を引き出せないからだ。

「私と話せるだけで光栄に思いなさい」、なんて論理は、頭のいい人には通じない。何もないなら、そもそも時間を奪われるようなことに頭のいい人は関わらない。単にスルーする。

 

 

なので、ある種の人間は、頭のいい人とは、本質的に巡り会うことができない。永遠に頭のいい人を勘違いしつづけるのが、コミュニケーションを軽んじていることへの代価になる。

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