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ボカロとマイクラが好きな雑記ブログ

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文章と推移。

今日のボカロ一曲。聴きながらどうぞ。

 

文章の構造化。取り組んでいるけれど、うまくいかない。

ブログ全体として、俯瞰的な見方で書く、ということができないのだ。

こういう文章は読みにくいとは知っているのだけど。

それでも、文章力としては、昔と比べたら読みやすくなったものだけど。

 

僕の、以前の文章を例えるとするならば、「語彙の少ない大江健三郎」みたいな感じでした。

語彙が少ないなら、少ないなりの身の丈にあった文章を書けば良いのに、それすらできずに、ようやくひねり出す感じに書く文章がそれだった。

現在は、音の塊として捉えている感じがする。なので、音読したときに読みにくくないようにしている。ただし、読みやすいかは分からない。

 

それより、現在主流の、ブログの定型に乗せた文章を書けるようになる方がよっぽど重要だったりする。

人生のパラメータ、推敲

人生のパラメータ論、まだまだ脇が甘い。

スキルの場合、毎日自己投資して、スキルの維持をしなければ劣化するパターンがあったりするけど、どういうスキルに投資するかでだいぶ違う。

音楽のスキルがあるとして、それにトークのスキルを合わせないと差別化は出来ない、というのがあったりする。

戦略という面でどのスキルを育てるかの視点は欠かしてはいけない。

学習の高速道路化、というのもある。資金、あるいは適切な情報にアクセスすることで、学習が劇的に効率化することがある。

どのようにして○〇のスキルを磨くか、という各論は、それぞれにエキスパートがいる気がする。

それを統合的に判断する必要があるのでは。

教師役にお金がかかるということね。

そういう雑感を交えてから、実際に必要なパラメータを考察してみる。


まず、欠かせないのは計画力。これがないとパラメータが伸びません。

次に人間関係力でしょうか。人と関わりのない仕事だろうと、最低限は交渉力が必要だったりする。

財産力、たぶん言い方が違う気がしますが押し通します。お金のルールと法律などですね。

感情のコントロール。これは出来ないと大人として恥ずかしいが、分かってないと恥ずかしいまんまだったりする。

肉体のコントロールも。筋トレしたりジョギングしたりです。体力は資本だったりします。

食事。好き嫌いに始まって、料理だったり栄養学だったり。お菓子は食事の代わりになりません。

キャリアとビジネス。積み上げた実績がキャリア。仕事を持つのがビジネス。

自由時間。要は趣味ね。精神性の豊かさだったりする。

環境。生活空間をどうするか。あるいは、整理することが大事だったりする。掃除もここに入る。

精神性。宗教だったり、読書だったり。


まだまだ推敲が足りないとは思いますが、とりあえずこう考えている、というところ。

桶の理論と人生のパラメータ

今日のボカロ一曲。聴きながらご覧ください。

 

人生が上手くいくにはどうしたらいいか。

まあ、誰でも考えるよね。躓いたら。なんで躓いたんだろうって。

それを人のせいにしたら、もうお先真っ暗ですが、そうでないなら、学んでいきましょう。

僕が考えるに、パラメータと時間配分の問題がある。

例えば、勉強のパラメータがあるとしたら、それを習得するのに時間がどれくらいかかるか、という問題。

ルックスのパラメータに、まるで時間配分をしないと、オタクっぽい格好になる、みたいな。

パラメータに、どのようなものがあるかについては、人によって見解が分かれると思う。

ただ、成長というコンセプトを取り込んでおかないといけないなと。

あと、桶の理論というのがある。

ウィークポイントが、全体の性能を決めるというやつだ。

どれだけ得意なパラメータに振っても、性格にパラメータを振らないと台無しになる、とか。

そういえば、一つ言及しておかないといけないのは、運について。

運が悪くてくよくよするのは、くよくよするという感情のコントロールのほうにパラメータを振らなきゃいけない、という。

運自体にパラメータがあると思っちゃいけないってことね。

早く「文章構造」を理解したい!

今日のボカロ一曲。適当に聞きながらお読みください。

 

文章を書くのが苦手だ。

メモ程度ならいい。はてブを使っているが、短文でまとめるのは得意といってもいい。

それなのに文章を書く上では、読まれる文章を書けているとは言いがたい。

そう。一言で言えば、読みにくいのだ。

シンプルな構造でもないし、話のつながりが見えないこともある。

比喩でもなんでもなく、話が読めないこともあるだろう。

なぜ今この話題を出した? などと疑問が浮かぶようでは、話が頭に入っていかないのだ。

それに、たいていの人は目的を持って読んでいる。

僕のように、文章を書くこと自体が目的になっていては、読み手がそこから書き手の意図を拾い上げるなどは不可能だ。

何のために書かれた文章なのか、把握しないと先に進めないタイプだと、一見支離滅裂に見える文章にたじろいでしまう。

そうなっては、文章自体が失敗だったと言える。

読まれることこそが、文章の存在意義だ。

読者がページから離れた時点で負けなのだ。

そこで、自分の文章を分析してみた。

そして出てきた答えは簡単。構造がなってなかった。

話というのは、しっかりとした構造があると、伝わりやすい。

論理構成が、読み手の頭の中でしっかり再現されているということだ。

日本語の特性として存在する、ニュアンスで伝わるというのに期待しすぎ、そのまま文章にしたとたんに意図が伝わらずコミュニケーションに支障をきたすのだ。

 

 

では、どうすればいいか。

構造化をすればいい、ということになる。

ある程度の解は、出版されている本から知見を得ることができるだろう。

本に書いているような文章を書けることを目標にするべきだろうか。

あるいは、身につけるためのステップが可視化されているとは限らないので、自分なりのステップを構築する必要があるかもしれない。

目標を定めて、ステップを作る。

早く文章構造を理解したいのに、どうやら堅実な手しかなさそうだ。

 

 

入門 考える技術・書く技術

入門 考える技術・書く技術

 

 

マイクラ日記1

 

整地という作業をしています。

ただ、掘っているだけなんですけどね。

 

パート数が結構行ってます。編集をしなければ、パート数はどんどん伸びる、という好例。

自然が作り込まれたゲームはたくさんあれど、自然破壊ができるゲームはなかなかない。

壊す音を楽しんでます。

人見知り、斯く語りき

星野源さん、テレビ番組で「人見知り」についての持論を述べる「すごく納得した」「耳が痛い」 - Togetterまとめ

「私は失礼ですよ」と自己紹介するのと、それをしないで素で失礼な受け答えをするのと、どっちがマシかという話になってくる。

2017/04/30 17:08


「私は失礼ですよ」と自己紹介するのと、それをしないで素で失礼な受け答えをするのと、どっちがマシかという話になってくる。 - yumekurage のコメント / はてなブックマーク

 

他の人のコメントのほうが役に立つ。特に、悪徳な人はこの見識を悪用するぞ、的なものが。

 

さて。最初に人見知りという言葉を、「誰が」使うかといえば、それは親だろう。

親が、子供を人に引き合わせる時に、前提として、性格を言付けるのはよくある風景だと思う。

子供は自然に、その言葉を覚える。

「この子は人見知りで」

といった親の言葉を、疑う子供なんているだろうか。

あとは、自分でも人にあったときに自称するようになるのは自然な事だと思う。

親心を自称する、というイタイ行動をしていると気づくのは、けっこう後になってからだと思う。

 

さて。人見知りというのがマイルドな表現だった場合。本当はもっと重要な発達障害を抱えている場合。

人見知りという一言でくくれない、もっと失礼な行動をしますよ、というのが分かっている場合は、余計なトラブルを未然に防ぐ、という意味で自称するのは仕方ない事だと思う。誰だって、見栄ぐらいは張りたいものだ。

もっとひどい水準なのに、人見知りというマイルドな表現に抑えている場合というのが往々にしてあったりするのでは? と推測する。

これを、ただの人見知りだと理解するのは、手痛い失敗を招きかねない。

下駄を履かせてもらっているのに、ただの人見知りだと、その下駄を取っ払いかねない人はいる。

そういった人に、言質を与えたのが、今回のテレビの持論だと思う。

悪い方向に行かなければいいのだけど、と思うのは余計なお世話だろうか。

解説の必要なタイプの言説

ADHDの人っていうのは

こういう、人を見て損得勘定で気遣いを使い分ける人はいるんだよね。店員に横柄にするタイプかと。優しさは効率よく自分を良く見せる通貨、みたいな認識だと通貨を返さない人には腹を立てる。でもそれでいいの?

2017/04/28 18:48


こういう、人を見て損得勘定で気遣いを使い分ける人はいるんだよね。店員に横柄にするタイプかと。優しさは効率よく自分を良く見せる通貨、みたいな認識だと通貨を返さない人には腹を立てる。でもそれでいいの? - yumekurage のコメント / はてなブックマーク

 

言葉足らずなことがあるので、追加で書いておこう。

 

さらっと決めつけているけど、店員に横柄にするタイプとは、必ずしも決定づける要素はなかったりする。でも、前提としてそういう人もいるよ、というのはあったほうがいいかなと。

善意には2つあって、感情を満たすために(自己満足するために)行う場合と、計算してやる場合と。

計算している、を端的に表す言葉としての効率。感情を通貨に例えるのはよくありますね。交換してこそ価値があるもの。

 

よくあるのは、不義理を重ねて愛想を尽かされること。病気を言い訳にしている、と捉える人がいるのだけど、まったくの逆なんですよね。愛想を尽かされるから、病気が発覚するという。

生きにくい、それが病気。

 

それでいいの? と問いかけているけど、もう一方の方をするように誘導している。相手のために優しくしなさい、という。

不公平感が問題になるのだけど、徳を積むことをうながしていると解釈してもらえるといいんだけど。

つまり修行ってこと。不公平感は拭えません。

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