ボカロとマイクラが好きな、聴くブログ

ボカロとマイクラが好きな雑記ブログ

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重要なことは、忘れること。

「忘れる」という習性が重要ということ。自分はADHDの三つの特徴のうち、一つが当てはまるのでは? などと思ったり。そう考えたほうが気楽。

 

常在戦場、というか、いつでも地震が起きる可能性があるぞ、と思ってるのは自分だけか。例えば、台風のときに地震が来た、なんて例は今まで一度も経験したことがないけど、無いとは言い切れない。そういうことを言い出すと、考えすぎと言われそうだが、実際に考えすぎる(その割に対策を考えない辺り、ぞんざいだ)。

 

どのようにブログを使うか、まとまってない気がする。ブログを書こうとは思うが、その場合の使い方はメモのような感じだし、記事ではない。記事らしいことを書いたことはないのでは。

 

アンテナを張るのが、とあるサイトの終焉で出来なくなっている。これは問題だ。その割には、代替サイトが使いづらいという理由でなかなか開かない。代替が代替になってない。

 

インスタ蝿、という言葉がある。インスタっぽい画像がうっとうしい人にはそう感じるのだろう。ツイッターばえ、という場合には、ネタ画像っぽいことが重視されるようだが。

 

 

そろそろブログの書き方も忘れてきたわけで

復習のために書く、といういわゆるミイラ取りがミイラになる、みたいなこと。

 

コンビニは、中国では人が居なくても動くようにし、日本では外国人を雇うようにしている、というどっちが時代錯誤かという問題。だんだんと中世っぽくなっていく日本のやり方に疑問をもつのだけど。

 

発想が貧困なので、何を書くか決まっていない。それなのにメモすら取っていない現状。インプットが足りない。足りなきゃ書けないのも当たり前。

 

自分は、ググるような内容は自分にしか要らない情報だと認識しているが、例えばボーカル抽出、みたいなテクニックもいろいろとやり方あるんだな、みたいに思っていて、それのやり方を紹介することにブログを費やすことを考えていないのは、もったいない気がする。ボーカル抽出、要りませんか?

 

クッキークリッカー飽きてきたな、といういつの時代のブログだよ、みたいにつっこんでいたり。数年ほど取り組んでいた知り合いが、ついに止めたという情報にそりゃそうだ、とか思ったり。

 

 

面白い話を書こうにも、過去の話から引っ張ってくるテクニックが要る。この辺の加減が分からない。過去から引っ張る感覚がわかるかな。死語使い、というありがたくない中二病的称号がついてきそう。

 

そろそろブログを書こうかな? と思ったり。今まさに書いているのがブログなんだけど、感覚的にブログというよりツイートに近いので、ブログ的記事にしたいという意味なんだけど、しかし、重大な欠陥が自分の文章構成力にあって、長い、あるいは構造的な文章を書くことができない。そんなんでブログが書けるのか。

 

面白い話を書きたいのだけど、自分的に面白い話が他者にはそう思えない、あるいはポイントを外していると感じるわけで。

いろいろなことがありました(備忘録を忘れる人の意見)

音楽家が中学生を殴ったり、プロポーズしてテンションMAXで橋から落ちたり、いろいろある世の中です。

何があろうと、疲労感に包まれていると、やる気が出ないという。アフリカで人が死んでいても、背中のおできのほうがよっぽど重要だ、という風刺にうなずく日々です。

 

人間、死ぬ気でやったら死ぬ、ということが喧伝されるようになってきたけれど、それとは別に、投資家の食指が動くような起業家が日本にいるだろうか、という考察が気になる。

中抜きをする企業が成長している、なんて絶望的なこの国だけど、ほかに成長しているジャンルはないのかと。

 

日本人の人材流出が問題だ、という言い方をする人がいるけれど、人材は流動的になっただけで、海外からの流入も検討しないと。それが起きないのは単に日本の環境がブラックである証左であって大本の問題は経営者側にあることになる。

 

スタイルの良い人を、ボンキュボンとか言ったりするけど、今年は盆、旧盆といった感じ。語呂を勢いだけで書くのは、脳を活性化させるため、という言い訳であって、他の人にとってはIQが下がる気がする。

 

センテンスが短いのだけど、ツイッターでやれと言われそうだから先回りすると、これらはブログだから書いていることであって、ツイッターではネコをかぶるようにしているから無理。

かき氷、食べても食べなくても

高校野球の話。

ある出場校が、かき氷を禁止しているらしい。

体調管理の面からいっているならいいのだけど、どうも、精神的に軟弱だから禁止らしい。

それでどうモチベーションを保っているのか。

恨みの念を、モチベーションに変えるのは、3流のやることなんだけど。

ただ、ひとつの負けをもってして、それで監督が3流だと決めつけるのは早計。

きちんと、今回がまぐれだったと証明しないと。

いつだったか、土下座をする高校があったように思うが、精神修養が必要といいつつ、精神的にお粗末な行動をとる高校があるような。そんなんじゃ仏陀に笑われる。

自分を痛めつけることに意味はない、と喝破した仏陀のように、高校生はもっとはつらつとした動機で、野球に取り組んでもらいたい。

ただ、高校内でカーストができるようだと困るけど。

野球部が、カーストの頂点に立つようでは、先が思いやられる。特に教育の面で。

今日もまた、無為な一日

風邪をひいてから、どうも時間の感覚がよろしくない。

時間はいくらあってもいいが、人と交換することはできないので、それなりにすごすしかない。

感覚がよろしくない、というのは、ムダにすごしているような気がするからだ。

ムダ、が大げさでないのは、ブログの更新が止まっていることからも推察できよう。

推察、まじ便利。

 

さて、じゃあ、有意義な時間というのはどういうのだ? という疑問がわいてくると思うが、自分の思いどおりにすごせればそれで十分な気がする。

つまり今と変わらない。

それじゃあ、基準がないじゃないか。

 

逆算せよ、と偉い人は言いました。

 

時間は逆算して使うものだよと。

それは、想像力がいるんじゃないの?

想像力のない人には、やっぱり従来の時間の使い方しかできないわけで。

別のアプローチが必要になってくる。そう、逆算ができない人のためのメソッドが。

 

逆算以外、となると、整理整頓が、それに近いか。

つまり、今までの時間の使い方を整理し、効率化し、カイゼンをくわえる。

それはそれほど想像力を使わない。使うのは、常識と、まめさだ。

まめに、自分の行動を振り返る。

これは出来る可能性がある。

それにかけるか。

毛布さんの世界に突入の巻

ボカロを聞いている。

どういう聞き方をしているかというと、wikiから、片っ端から見ている感じです。

どんどん追加されていく情報と、今までの情報と。

それを片っ端から。

良い曲と思ったら、データ取ったりして。

それで、データを追加する人の都合で、無名の人のデータが追加されることがよくあるみたいで。

そこで、毛布さんという存在を知った。

何しろ、何曲も連続で追加されているのだ。

気にならないほうがおかしい。

再生数はたいしたことなくて、それだけに過小評価だといえる。

聴きどころとか、歌いやすいかと聞かれると、ひじょうに困るのだけど。

まあ、良い曲です。

リハビリ的な意味での執筆

書くのは不得意か? と問われれば、不得意。普通の書き方をしたことがない、というかやり方が分からない。普通っていったいなに?

 

という訳のわからない書き出しをしてみたけど、書きたいって欲求が特にないのがいけない。書かないとどうしようもないって気持ちがないと、書くのは難しいかも。

それには、想像力の補正が必要かも。

 

動画は作る。それは、コメントが付くからかもしれない。あるいは、マイリスされるからかもしれない。

なんらかのアクションがあると、やる気になる。

それが、ブログの場合(この時点まで、何を書いているか思い出せなかった。)、リアクションは不十分な気がする。

書かない理由は明快で、書けないから。ペンが持てない時期があって、現在も持てないのではないか? と錯覚しているところがある。

では、書いてみて、何かすっきりするか? と問われれば、すっきりまではいかない。心の中にあるもやもやの言語化ができていないから。

というか、何を話す、的な指標が何もない。これでは書きっぱなしになる。

文章は、基本的に書きっぱなしがデフォだけど、それでいいのだろうか。公に書いているのだけど、それで。

もし、人に見せない日記、的な物を書いていれば、それとは別のベクトルであるブログを書く、という消化のしようはあるのかもしれないが、そういうのとは違う。

つまり、なんだかんだ、を言語化しただけの話。

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